会社概要


【会社名】 株式会社オーガニックビューティー

【所在地】 東京都千代田区神田淡路町1丁目2番地 武蔵野ビル5階

【TEL】 03-6861-7590

【FAX】 03-6800-3019

【代表者】 関根千恵 (本名 薄木千恵)

【設立】 平成14年10月10日

【顧問】 医学博士 松木康夫

【事業内容】 ー然化粧品の企画・開発、販売、卸しなど
⊆然化粧品、肌理論のセミナーなど

【加盟してる団体】 日本化粧品技術者会
日本ポリフェノール学会
日本ばら会

代表者 関根千恵について

-自分の大好きな事を仕事にしたいと夢見ていた幼少期-

昭和45年、東京都葛飾区で将棋のプロ棋士 関根 茂 九段と、関根 紀代子 女流六段の間に生まれました。
家族思いで誰にでも優しく頭の良い父と、家庭と仕事を両立しているパワフルな母に大切に育てられました。

私の亡き父、関根茂は、幼い頃から将棋が強く、将来は将棋のプロ棋士になりたいという夢を抱いていましたが、母親から強く反対され農林技官として就職をしたのですが、将棋への夢を諦めきれず勉強を続け、アマチュア強豪として名をはせ、その後プロ棋士へと転職した異色の棋士です。(転職をしてプロになった棋士は父だけです)

幼いころからその父のエピソードを聞かされていた私は、夢を諦めずに努力し、自身の生涯の仕事にしていくことに大きな憧れを持っていました。
また私の母、関根紀代子も幼い頃から将棋が強く、わざわざ群馬県から東京の父の将棋道場へ通うほど将棋が大好きだったのですが、当時、将棋は男性だけがプロになれる世界でした。
父のもとへ嫁いだ後、将棋が大好きな母の夢を叶えるため、将棋の専門誌で、母と有名人とで対局(将棋の試合)をする企画をしたところ大変な人気になりました。もちろん企画をしたのは父です。父のそんな努力の甲斐もあってか、女流棋士会を作るムーブメントが起き、母は最初の女流プロ棋士になりました。
母が嫁いだ頃の日本は、嫁が家事のすべてをするものという考えが強かったため、家庭と仕事との両立はとても大変そうでしたが、将棋への情熱はそれをはるかに上回るものがあり、横で見ていた私にも、仕事への情熱や責任感という価値観が育まれました。

両親とも自身の夢である将棋のプロ棋士を実現し職業としていたことに大きく影響され、小さいころから自分の大好きなことを仕事にしたいと夢見ていました。

-自身の肌トラブルに悩んだ大学生、就職1〜2年目の頃-

幼い頃、父が運営する将棋の道場で、忙しくしている両親にかまってもらいたくて騒いでいる時、「ママの化粧品触っててもいいわよ」といわれ化粧品を手にするとおとなしくなる位、化粧品には大きな関心があったのですが、「何もしなくても肌がきれいな子供のうちは化粧品を使ったらかえって肌の調子が悪くなる」という母の考えで、幼いころは化粧品を自身の肌につけることは許してもらえませんでした。
また、私が通っていた中学校と高校は私立の女子高で非常に校則が厳しかったため、メイクはおろか、リップクリームさえ許してもらえませんでした。

その反動もあり、高校を卒業して真っ先に向かったのが百貨店の化粧品カウンターとバラエティショップの化粧品売り場でした。女性誌の化粧品特集も必ず熟読していたので、その当時に流行っていた化粧品にはかなり詳しかったものです。

「化粧品を使えばきれいになる」そんな思い込みからありとあらゆる化粧品を片っ端から購入しては使っていましたが、きれいになるどころか、ニキビがどんどんでき始め、あれよあれよという間に、目の周りのまぶたと唇以外は真っ赤な大粒の炎症ニキビがぎっしりと出来、笑っただけでも痛かったのを覚えています。
とても辛くて、絶対に肌の色がわからないよう、ファンデーションを厚塗りしていました。
今の私が横にいれば、「その化粧品の選び方、使い方がいけないのよ」と教えてあげられるところなのですが、その当時の私には、化粧品が原因で肌がトラブルを起こすなんて想像もつかなかったため、治したい一心で使っている化粧品がニキビをさらに悪化させてることに全く気づきませんでした。

本当にあらゆる化粧品を使い倒していました。
ブランドで数えれば軽く100は越えていたと思います。
漢方薬やいろいろなサプリメントも試し、食事にも気を使い、何社ものエステに通い、カードローンも組んでお金も随分と使ってしまい、藁にもすがる思いで、「また、昔のように素肌で外を歩きたい」と願う日々でした。

-オーガニック化粧品に出会い、大手企業から飛び出した頃-

顔中が真っ赤な大粒炎症ニキビで覆われていた25歳位の時、たまたま立ち寄った銀座の百貨店でアロマテラピーフェアが開催されており、そこで出会った海外製の植物性化粧品(今でいうオーガニック化粧品)に衝撃を覚えたのを今でも覚えています。

それまで買いあさっていたケミカルコスメ、無添加コスメのどちらとも異なる、なんともクリアなハーブの香りと、なめらかすぎないモタッとしたテクスチャーながら、その意外なまでの浸透性のクリームやオイル…。
店頭で何気なくつけたその時も驚きましたが、家に持ち帰ってからメイクを落とし、洗顔、化粧水、乳液、クリームと重ねていくのは、もう感動の嵐でした。
「やっと出会った!これで治る!」と思いました。

実際には劇的に改善するというよりも、日に日に少しずつお肌がもどっていく感じなのですが、それまでが悪化の一途をたどっていたことを考えるとやはり、自分的には感激でした。
最初はその化粧品の一愛用者だったのですが、だんだんとオーガニック化粧品愛が深まり、そのうち自分の肌だけでなく、他の肌に悩む女性たちにもこの良さを伝えたい!という気持ちが高まっていきました。

そしてオーガニック化粧品と出会ってから約1年後、それまでお勤めしていた三菱電機株式会社を退職し、従業員数でいうと3万分の1位の大きさの会社へと転職しました。(約14万人→5人)
それまでの私は、東京理科大学で数学を専攻し、三菱電機株式会社ではSEとしてシステム開発を3年ほど担当していたので、化粧品は素人かつ、超ド級のオタク。しかも理屈っぽい。つまりは、なにかにとびぬけて詳しいかと思いきや、肝心な基礎が抜けてるといった具合です。

「はやく本物の美容のプロになりたい」そんな思いで美容の勉強と仕事が楽しい日々でした。

-楽しいながらも、何をしたいか模索し、悔しさも感じていた日々-

「私の天職はオーガニック化粧品にかかわる仕事!」というところまでは分かったのですが、オーガニック化粧品にかかわるといっても、販売員、インストラクター、営業、エステティシャン、広報、薬事、企画、開発、社長など色々あるけれど、さて、何を目標としよう?と思い、毎日ずっと考えていたのですが、考えても分からなかったので与えられた仕事を何でも片っ端からやってみることにしました。
まずは、化粧品オタクの知識と自信の肌改善経験談と、加えて日々勉強している美容の知識を武器に販売員をさせてもらいました。
お客様の様々な悩みと、オーガニック化粧品の魅力をお伝えすることの難しさに直面し、日々格闘していたのが懐かしいです。

勉強したい思いが強かったので、イギリスへ数週間マッサージの勉強へ行ったり、母校である東京理科大学へ生化学の授業を受けに行ったり、お勤めをしながらなんとか時間を捻出して美容、健康、オーガニック、化粧品などについて学んでおりました。
その後、インストラクターになってからは、サロン様で働かれてるセラピストの方々に、オーガニック化粧品の説明やマッサージの方法などをお伝えするお仕事をさせていただき、より専門的なスキルを実践と勉強で身につけていきました。
また少人数の会社でしたので、薬事業務も同時に担当していました。都庁の薬務課で教えていただきながらこなしていた業務はその後もずっと役立っています。

その頃一番強く思っていたことは、ハーブエキスやエッセンシャルオイルをほんの1滴入れただけのなんちゃって自然派化粧品、表示指定成分が入っていないだけでほとんど水みたいな薄くて効果がない無添加化粧品が非常に多いこと。
しかも、オーガニックや野生で育った価値ある植物由来成分をふんだんに使い、石油合成成分が一切使用されていないようなオーガニック化粧品がとても少ない上、なんちゃって自然派化粧品や無添加化粧品と一緒くたに扱われ、埋もれていた事です。
とても驚くとともに、残念で悔しささえも感じておりました。

「本物のオーガニック化粧品の良さをもっと広めたい。でもそのためには今のままじゃだめだな…。」
そんな風に毎日考えていました。

-オーガニック化粧品を広めるため、もっと広い世界へ-

「オーガニック化粧品を広めるためには、狭いオーガニック化粧品業界だけしか知らないのがダメなのかもしれない。
化粧品業界全体を知らなければいけないのでは?」と考えるようになり、30歳の時、その当時お世話になっていた会社を辞め、化粧品のOEM会社へ製品企画として転職することにしました。

OEM会社とは、他社ブランドの製品を製造する会社のことで、そこに製品企画として入社すれば多数の会社の化粧品に携われます。メーカーの要望を吸い上げ、企画し、開発・製造現場の方たちとコミュニケーションをとりながら最終製品として巣立っていくところを何社分も目の当たりにできるのは、短期間で化粧品業界のことをかなり学べると思ったからです。
そこで化粧品のOEM会社を何社もリサーチし、その中で一番良さそうだと思った会社に入社出来たまでは良かったのですが、化粧品の企画なんてした事なかったので、そこからが大変でした。
実は、入社してから先輩に教えてもらえば何とかなるだろうと甘い考えを抱いていたのですが、その会社は製品企画を採用するのは私が初めて。しかも落ちてきた売り上げをV字回復させるための秘策として企画を採用した。という事を後から知り、これは責任重大だなと考え、独学で必死に学びながら働いていました。

必死に学んだ甲斐もあり、私の企画は社内はもちろんの事、クライアントにも評判がよく、有名なドクターズコスメの企画担当もさせていただきました。
最初は手厳しい態度をとっていたドクターも、私の持ち込んだ企画を認めてくださり、年間100万個も売れるヒット商品を出した時には本当に喜んでいただきました。

-アメリカのアンチエイジングドクターとの出会い-

OEM会社では仕事も順調、給与、上司、先輩、同僚のすべてに恵まれていた為、辞めるのはとても辛かったのですが、「オーガニック化粧品の仕事をしたい!」という気持ちにはやはり勝てず、OEM会社はわずか2年で辞め、またもや小さな会社へと転職します。

しかも、今度はもともとコンサルティング会社で、オーガニック化粧品は一代理店として片手間にやっているような状態の会社。
でも、その化粧品はどまんなかのオーガニック化粧品ともいえるブランドであった上に、社長の少年のように夢を語る姿に惚れ込んでしまいました。
「この人の右腕になりたい!そしてこの会社を大きくし、オーガニック化粧品をしっかりと広めていきたい!」
とそんな思いに駆りたてられた訳です。
しかし、その当時はオーガニック化粧品はまだとてもマイナーだったため、もっと会社の利益に貢献できる化粧品も扱わなければいけませんでした。
化粧品に大きな夢をもつ私としては、オーガニック化粧品ではなくても、ユーザーの肌を真剣に考えた特別な良いものでなければと思いました。
しかも会社を成長させるほどの利益を上げ、すぐにでも始められ、その会社の資金力で扱えるもの。
国内でも探していましたが、なかなか拉致があかなかったため、ちょうどパリで開催されてる展示会に社長と行ってみました。

パリには様々な化粧品があふれていましたが、その中でもひときわ目を引いたドクターズコスメがありました。
アメリカでは頭蓋・顔面の形成外科医のことをクラニオフェイシャルドクターというのですが、そのクラニオフェイシャルドクターが、自身の形成外科の技術を応用してして作った美容液2種です。
ドクターは、手術前にその美容液を使い傷の直りが早い肌に整え、手術後に同じ美容液を使い傷跡を修復しているとのことでした。
成分には石油合成の成分はほとんど含まれず、自然由来で薬のように効く成分がチョイスされていたところも選んだ理由でした。
大手商社出身の社長とドクターはすぐに意気投合し、日本で独占販売をすることになりました。
この時のドクターから教えていただいたアンチエイジングの理論は、現在のローズドビオにも活かされています。
ドクターズコスメが流行っていた当時、思った通りその化粧品はよく売れ、小さかった会社を成長させるには十分な売り上げが上がりました。
ちなみに後から分かったことですが、このドクターは「アメリカが選んだ100人の外科医」に入るほどの凄腕のドクターでした。

-再びオーガニック化粧品を盛り立て、販売会社の社長へ-

ドクターズコスメで売り上げを上げ成長してきた会社ですが、私の願いもあってか日本でも徐々にオーガニック化粧品が流行りだしてきます。

そこでいくつかのオーガニック化粧品の卸売りを請け負い、更に、オーガニック化粧品の本場ドイツで良いブランドをセレクトしては独占輸入元になる、というようにいくつものオーガニック化粧品ブランドを扱うようになります。
そんな風に積極的にオーガニック化粧品の取り扱いを増やしながら成長していた会社は、当初、一代理店として卸販売をしていたドイツのNo.1オーガニック化粧品会社からも声がかかりました。
その当時の輸入元との契約が切れるので、今度は代わりに輸入元になってくれないか、とのこと。
当然、快諾し輸入元となります。

そして、本当に偶然なのですがドイツの売り上げNo.2のオーガニック化粧品会社からも同時に声がかかりました。
競合している2社を同時に扱う訳にもいかないので、やむなく社長の親戚が経営する会社へその輸入権を譲り、私は両方の会社の化粧品責任者となりました。
もともとポテンシャルの高いブランドだったため、2社とも売り上げは一気に跳ね上がりました。
実績を上げてきた私は社長からも認めていただき、新たに設立した販売会社の社長も任せていただけました。
ですが、どう考えても一匹狼タイプの私が、仮にも人様の上に立って指示や指導をするのは本当に大変でした。
部下たちにもえらく迷惑をかけたなと、今になっていろいろ反省しています。
ですがそのお陰で、現在の株式会社オーガニックビューティーも設立・運営できていますので、本当に貴重な経験だったと感謝しています。


販売会社社長だった頃の関根千恵

-日本人に合ったオーガニック化粧品の開発へ-

私が社長を務めていたオーガニック化粧品専門の卸売り会社では、ドイツNo.1、No.2のオーガニックコスメをはじめ、粒ぞろいのオーガニック化粧品を多数扱っておりました。百貨店、エステサロン、オーガニック専門店、バラエティショップなど多数の店舗に卸販売をしていたので、販売することの厳しさと楽しさを大いに学んでいました。OEM会社では売れるための商品企画だったのに対して、ここではすでに出来上がっている化粧品の良さをどうやってアピールして売り上げを伸ばすか、が課題でした。
ドイツには頻繁に出張して(多い時には年間10回以上)いましたので、その度にその会社の開発者やエステティシャン、広報担当者等からオーガニック化粧品やドイツのオーガニック市場の事をよく教えていただいていました。
それらの情報は、オーガニック化粧品の魅力をお客様へお伝えするのにとても役立ちましたが、同時に日本に住む日本人女性の肌を美しくするには限界があると考えるようになってきました。

その理由は、ドイツと日本との気候、環境、ドイツ人と日本人との習慣、好み、肌質がいろいろと異なるから。
例えばドイツの冬は非常に寒いため、冬場の保湿にはベタベタするくらいのクリームをつけたくなるような気候なのに対して、日本は特に夏場に湿度が高い関係で、しっとり保湿しながらもスッと浸透してベタつかないない美容液をつけたくなるような気候。ドイツの水道水は硬質のため、水でバシャバシャと顔を洗うと乾燥してしまうので、メイク落としは洗い流しよりもふき取りが多く、その関係で化粧水はアルコール分を多く含むふき取りタイプが主流。
それに対して日本は水道水が軟質のため、水でバシャバシャと顔を洗った方がキレイになる。環境が全然違うから習慣も好みも変わってくるという訳ですね。だからドイツの化粧品ブランドではやたらとクリームの種類が多い上に重いテクスチャーが人気。クリームは10種類以上もあるのに化粧水はふき取り用1〜2種類だけ、というようなブランドもあって最初は不思議でした。ついでにいうと、ドイツをはじめとしたヨーロッパでは、シャワージェル(体用の洗浄料)とボディーローション(ボディ用乳液)がとてもよく売れてますが、日本ではそれほどでもないのは、湿度が多く水が軟水だからだと思ってます。

そして、もちろん肌質も全然違います。
私はイギリス、イタリア、ドイツでエステの勉強をしたことがあるのですが、遠目に見た肌と触れた肌では全く異なるので驚きました。ヨーロッパ女性に比べて、日本女性の肌は、年齢を重ねてもそれほどハリを失わず、キメも細かく、水分量が多い傾向にあります。
もともとの肌も異なる上に、ヨーロッパでは日に焼けた肌が素敵だと思われていて、日本では白い肌が素敵だと思われている、という文化の違いもあるので、多くのヨーロッパ女性が、日焼けにより光老化(紫外線により、本来の肌より老化が進んでいる肌)を起こしているため、年齢を重ねるほどに深いしわを刻み、肌がゴワゴワとしている事が多いです。そのうえ、日本人より丈夫な肌の方が多いので、海外では人気がある化粧品でも日本人には刺激が強すぎて使えないものも多々あります。

上記はほんの一例で、海外の女性たちの肌や習慣・好みなどを知れば知るほど、海外製化粧品をそのまま日本に輸入しても、日本女性たちのお肌をキレイにするには限界があると考えるようになってきたのです。

とはいえ、日本にある「なんちゃって自然派化粧品」とドイツで生まれた「本格オーガニック化粧品」には、私から見ると明らかな格の違いがあるように思えました。化粧品製造の技術自体は、日本は世界一ともいえる位優れていると思いますが、原料のパワフルさにおいて、圧倒的にドイツに軍配があがっているように思えたのです。

そんな背景があり、自身の企画の経験と海外オーガニック化粧品を扱った経験を活かし、 日本人の肌と好みに合った自然化粧品の企画開発に挑戦したいと考えるようになっていきました。

-認定オーガニック化粧品開発の難しさに悩む日々-

日本女性の肌を美しくするオーガニック化粧品作りへの想いは、その当時お世話になっていたオーナーにも同意していただき、BDIH認定化粧品の企画開発に挑戦する事になりました。それまでも一般的な化粧品の企画をしたことは多々ありましたが、BDIH基準の化粧品企画はその時が初めてでした。やってみて痛感しましたが、とにかくBDIH基準で化粧品を企画するのは本当に大変!企業内で化粧品を企画・開発して売り上げを上げていくためにはある程度のスケジュールも考えないといけないので、最初はBDIH認定化粧品の製造に慣れているドイツの化粧品工場に、私の企画を伝えて作ってもらいました。

その当時の私としては精いっぱいのものを企画したのですが、日本企画のドイツ産という事もあり、なかなか100%満足の出来栄えでなかったのが正直なところ。そのため、基本的なラインナップをドイツで生産しながらも、同時に日本の工場でBDIH認定化粧品を製造出来ないかも併せてチャレンジしていました。

ところが、これがもう本当に大変で、スケジュール通りにいかず悩む日々が続きました。何がそんなに大変かというと、配合できる原料の調達がとても大変でした。今でこそ、コスモススンタンダード(BDIHやエコサートなど、EUの主要な認定団体が作った標準基準)で認められる原料はかなり豊富に揃い入手しやすくなりましたが、その当時の日本では限りがありました。

その限られた少ない種類の原料を組み合わせ、魅力的なBDIH認定化粧品を作ることが大変だったのです。なんでもいいから認定の範囲内で作るのなら簡単なのですが、やはり作るからには、お客様に「買ってみたい!使ってみたい!」と思っていただき、実際に使っていただけたら「ずっと使い続けたい!また買おう!」と思っていただける商品でないといけないですからね。そのためには、単に100%ナチュラルというだけではなく、ちゃんと効果を実感できるもので、他の自然化粧品にはない高い機能性を併せ持つものを作りたかったのですが、その当時の私と入手できる原料ではそれが難しかったのです。

そんな悩める毎日が続いていたのですが、その時の私は社長とはいえ雇われの身。いつまでも企画を練るばかりで製品化の日が来なければ会社として困ります。オーナーや営業、広報のスタッフたちからも、100%満足でない商品でもいいから、ある程度スケジュールを守って発売してほしいと苦情がきます。私のオーガニック化粧品への想いはそれはそれは強いものですので、妥協して発売することも、そのまま発売できず会社が困るのもどちらも辛く、毎日悩んでいました。


BDIHの認定マーク

-会社が傾いたことをきっかけに、新たな道へ-

販売会社を社長として任され、国産BDIH認定化粧品の企画・開発をしていた頃、オーナーの体調不良、為替の変動、強豪ブランドの出現、スタッフを増やし過ぎた事など、様々な要因が重なりグループ会社全体が傾き始め、私が企画した化粧品ブランドは、他社へ買収される事になりました。

そして、当時のオーナーから頼まれたため、私もブランドと一緒にその買収した会社へ転職することに。オーナーとしては、その当時の傾いた会社から私を逃がしてあげようという気持ちだったのですが、大変でも最後までオーナーを支えたいと思っていた私には辛い出来事でした。そして同時に、近い将来、ふがいない自分自身にリベンジするため独立して今度こそ本当に納得のいくオーガニック化粧品を自身で開発から販売戦略まで全て手掛け、成功させると決意していました。

そんな決意を心の奥にひそめつつ、私は新たな会社に転職しました。転職先の会社は良い方達ばかりで、成功している立派な会社だったのですが、私のオーガニックへの想いとは別の世界のように感じた為、やはり私の理想を貫くには独立しかないと確信し、引継ぎ関連をすませた数か月で退職しました。

-独立し、思いっきり特別なオーガニック化粧品作りを開始-

お世話になっていた会社を辞めた後、1か月で会社設立準備をし、平成26年10月に株式会社オーガニックビューティーを設立しました。

OEM会社で企画をしていた経験から、OEM会社へオリジナル化粧品をお任せすると、処方のベースはほぼ同じで似たり寄ったりの化粧品を提案される事が分かっていたので、まずは私のラボで企画・処方した化粧品を実際に作ってくれる柔軟な工場を探しました。同時に自分で最高だと思える原料を探す為、植物原料を片っ端から調べ上げ、いくつもの農園を訪ね歩きました。
オーガニック認定の農園はもちろんの事、認定を取得していなくても、実質オーガニックで栽培していて、土や栽培方法にどんなこだわりをもって、どんな想いで植物を栽培しているかなども、実際に植物を育てている方達とお話をしてまわりました。

特に私が熱心に探したのが、無農薬有機栽培の香り高い赤薔薇です。理由は、オーガニック化粧品の中でも薔薇のエキスやエッセンシャルオイルをしっかり配合した化粧品は、原因不明の不調なお肌などもバランスを整え、とてもきれいにしてくれたのを何度も見てきたからです。実際に私自身も薔薇を配合した化粧品に助けられた者の一人なのですが、どうやら薔薇の持つ香り成分が女性ホルモンのバランスを整えたり、過敏なお肌を落ち着かせたりするようなのです。薔薇で最も有名な化粧品原料は、ダマスクローズという淡いピンク色の薔薇なのですが、私が探したかったのは真っ赤な薔薇。

一般的な薔薇の効果はダマスクローズでも充分なのですが、昔から薬用に使用されてきた薔薇は赤く香り高いものが多かったからです。例えばロサ・ガリカという赤薔薇。これは薬局のバラ(アポテカリーローズ)という異名を持つ赤薔薇で、中世ヨーロッパでは花びらを粉末にした薬やハーブティーが用いられていました。また、ロサ・キネンシスという赤薔薇も有名で、中国では漢方薬として用いられてきました。日本には遣唐使がもたらしたといわれ、そのため今でもお寺にはロサ・キネンシス(和名:庚申薔薇)が植えられているのをよく見かけます。

なぜ赤色の薔薇が良いのかというと、理由はその色素にあります。植物は自身が陸上で生活するため、紫外線から身を守るためにポリフェノールを作り出します。ポリフェノールは植物の色、苦み、香りの中に存在するのですが、とくに紫外線から身を守るのは赤色色素ではないかという説もある位、赤色の植物は紫外線に強いようです。

そんな理由で香り高い赤薔薇を探していたところ、出会ったのが奥出雲薔薇園の赤薔薇「さ姫」。「さ姫」はまず見た目からして美しかった事に驚きました。情熱的な深紅の赤色をし、花の形も私たちがイメージする薔薇らしいシルエット。更には、化粧品原料としてもっとも有名なダマスクローズよりも更に薔薇らしい、というか薔薇そのもののうっとりするような香りです。しかも、農薬は一切使用せず、土づくりも有機で独自のこだわりを持っていたので、初めて見た瞬間、「これしかない!やっと出会った!」という思いで感無量でした。

ちなみに、私がオーガニック栽培の植物にこだわるには大きな理由があります。
ほとんどの方は、「オーガニック栽培=害のある農薬を使用していないので安全」としか捉えていません。それももちろん大切な事なのですが、実はオーガニック栽培の植物を配合する重要性はそれだけではありません。「オーガニック栽培の植物の方が農薬を使用した植物よりも、あらゆる薬用効果が3倍以上になる」ととある製薬会社がデータをとったそうですが、実際に同じ品種の植物を同じ量だけ配合しても、農薬を使っていたかどうか、健康な土で育ったかどうかによって、美容効果の実感は全く異なります。「農薬は害虫を殺してくれるけれど、同時も効果も殺してしまう。」という事ですね。しっかりと美容効果の高い化粧品を作るためには、もとの植物がどんな育ち方をしたかが非常に重要だという事です。

もちろん、その貴重な成分を壊さないよう抽出し、化粧品を作り上げていく事も、実感の高い化粧品作りには欠かせないので、化粧品を製造する時の加熱方法や温度、時間、回転数などにも細心の注意を払って、植物の生命力が損なわれないよういつも考えています。

そんな事で、私の独立後、最初のオーガニック化粧品は「さ姫」という赤薔薇を配合した化粧品にしたい!と、まずは自分の願望が決まりました。そこで、次にとった私の行動は生産者の福間厚さんへの直談判!そんなに私の理想通りの薔薇はそうそう無いですから、断られでもしたら大変です。会社は作ったばかりで売り上げはまだ1円も上がっていませんし、信用もこれから築きあげていくしか無い訳ですから、自分のオーガニック化粧品と薔薇への想い、さ姫にどんなに惚れ込んでいるかなどを、とにかく情熱を込めてお話して頼み込んでみました。その結果、熱い想いをもって「さ姫」を栽培していた福間さんにも私の想いは通じ、「さ姫」のエキスを化粧品に配合させていただける事になりました。
しかも、福間さん監修の赤薔薇「さ姫」エキスはなんと弊社が独占的に使わせていただけるというありがたいお話に!
本当にうれしかったのを今でも覚えています。次に私は、赤薔薇「さ姫」エキスの素晴らしさを証明してみたくなりました。もともとしていた薔薇の研究からも、福間さんから得た情報からも、赤薔薇「さ姫」エキスは抗酸化力と抗酸化力に優れているはず。そして、抗酸化力と抗酸化力に優れた成分を配合した化粧品はエイジングケア効果に優れているはず。薬機法上、その効果のすべてを皆様にお伝え出来ないのが残念ですが、効果が証明出来れば自信をもっておすすめ出来るし、お客様もきっと気に入って使い続けてくださる筈。

そんな思いから、なけなしのお金をはたいて第三者研究機関へ原料の抗酸化力と抗酸化力を効果測定してみました。結果は私が期待していた以上のもので、まるで自分の子供がテストで100点をとったような気分で舞い上がっていたのを覚えています。


ロサ・ガリカ

ロサ・キネンシス

さ姫

奥出雲薔薇園にて
関根千恵と福間厚氏

-ローズドビオ ブラッディローズジェリーが誕生!-

思っていた以上に赤薔薇「さ姫」エキスの効果を確認できた私は、今度はそのエキスをどんなタイプの化粧品にどう配合したら一番効果的かを研究しはじめました。また、忙しい現代女性に毎日簡単に使っていただけるよう、機能的でなければとも考えていました。もともと日本ではオールインワンタイプの保湿製品が流行っていましたので、そのような形状も良いかと思っていました。ただ、一般的なオールインワンは保湿力が乏しく、結局は他の製品と併用しないと使い物にならない製品が多かったですし、美容液としての機能はまるで問題外の製品が多かったので、それらとは一線を画したものでなければとも思っていました。

同時に化粧品を作る上で重要な界面活性剤についても考えていました。乳液やクリームは水溶性の成分と油溶性の成分がバランス良く含まれていて便利ですが、それらを混ぜ合わせる為の界面活性剤には、敏感な方だと肌荒れを起こしてしまうことが多々あります。特にオーガニック化粧品ともなると、敏感なお肌の方が探し求めてくることが多いので、お肌を刺激する原因になりうる原料は例え自然由来のものであってもできるだけ排除したいと考えていました。また、肌質によっては油分はあまり補う必要が無いことはあっても、全ての肌質に保湿(水分を保つ)が必要であることを考えると、ジェルタイプのオールインワンで、なおかつ、普通のオールインワンではありえない位の高い保湿力を持つ製品にしたいと考えました。しかも、その後で高価な美容液を付け足さなくても良いように、高いエイジングケア効果、鎮静効果も持たせたいと考えていました。

赤薔薇「さ姫」エキスには高い抗酸化力と抗糖化力があるので、これをどれだけ贅沢に配合できるかを考えました。「〇〇エキス配合」などと表記してあっても、一般的には、0.0001%などのようにほんのわずかしか配合しないのが普通の化粧品。例えば、3%配合すれば効果がある貴重な成分であっても0.03%では全然足りないように、量が少なすぎれば効果は充分に発揮出来ません。驚かれるかもしれませんが、一般的な化粧品では、実際に貴重な成分は極めて配合量が少ない事が多いのです。赤薔薇「さ姫」エキスの効果を確認する試験では、1%以上配合すれば素晴らしい結果が上がりましたので、最低でも数%は配合したいと思いました。ただ、効果が高いものは入れすぎても良くないことがありますので、安全面でも問題ない量を考えました。色々試行錯誤した結果、51%を配合しようと決めました。また、赤薔薇「さ姫」エキスが十分に効果を発揮するよう、邪魔するような成分も配合しないよう注意しました。一般的なジェル状の美容液やオールインワンに良く配合される合成ポリマー類を配合しないでジェルを作ろうという意味です。

合成ポリマーとは、石油合成の流動パラフィン、カルボマー、シリコーンなどのことで、これらを配合すると簡単にジェル状の化粧品等が出来ますが、お肌をピッチリとふさいでしまうので、せっかくの貴重な美容成分がお肌へ浸透しにくくなってしまいます。特にシリコーンなどはお肌にピタッとくっついて普通の洗顔料で取りきれないので、洗顔後にすぐに良い成分が配合されてる化粧品をつけても浸透しにくくなってしまう厄介なもの。
例えていうなら、サランラップでお肌を密閉しているような感じですね。また、良い成分が浸透しにくいだけでなく、お肌本来の機能が衰えやすくなると、私は考えています。つねにワセリン(パラフィンの一種)やシリコーンなどでお肌を密閉していると、お肌は自分が働かなくても水分が蒸発しないで済むので、だんだんとお肌本来の機能が衰え、乾燥肌、敏感肌になったり、老化が早く進むと私は考えています。実際にケミカルの化粧品を使い続けている人がオーガニック化粧品に切り替えると、最初は乾燥しやすく悩む方も、徐々に自身の肌が本来の状態に戻って調子を取り戻す方をたくさん見てきました。逆に、もともと皮脂の分泌が盛んで角質が肥厚しやすい方はニキビに悩まされるようなこともあります。余談ですが、私がケミカルの化粧品でニキビだらけになってしまったのは、強い界面活性剤でバリア機能を壊してしまった上に、合成ポリマーで肌をピッタリ覆っていたのが原因かと分析しています。
話を元に戻しますと、要はサランラップのように肌をピタッと密封するような合成ポリマーを使用せず、代わりにクラゲ由来のコラーゲン、クインスシード、シロキクラゲ等の天然ポリマーを配合することでジェル状の化粧品を作る道を選びました。これらの成分は、同じポリマーなのですが、優しくお肌を保護しながらお肌の通気性や成分浸透を妨げません。また、単にジェル状にしてお肌を保護するだけでなく、その成分自身がが水分をしっかり抱え込んでお肌をみずみずしく保つ素晴らしい保湿効果を発揮したり、他にも様々な美容効果を併せ持つのでとても優秀なのです。

そして、オーガニック化粧品でもう一つ重要なのは「防腐」。石油合成の防腐剤で最も有名なパラベンは、すでに欧米では一部のパラベンに規制がかかるほど問題視されていますので、パラベン以外のもので防腐するのはもちろんですが、他の自然化粧品でよく使われているフェノキシエタノールも使いたくありませんでした。パラベンとフェノキシエタノールを比べると、同じ量ではフェノキシエタノールの方が低刺激なのですが、パラベンの方が少量で防腐力がある為、実際にフェノキシエタノールだけで防腐する場合は配合量を多めにし、結果的には刺激が強くなることが多いからです。また、海外のオーガニック化粧品では植物由来のアルコールを配合して防腐力をもたせている製品も多いのですが、アルコールの配合量が多いと肌への刺激も増してしまいます。実際、「海外製のオーガニック化粧品を使用して肌に刺激があった」という方はアルコールに反応していることも良くあります。ですから、いくら植物由来であってもアルコールも出来れば配合したく無いと考えていました。探してみると、抗菌力の高い植物エキスや、植物由来でそれなりに防腐力をもたせる原料はありました。ですが、ローズマリーやクローブなど、スッキリとした香りのものが多く、赤薔薇「さ姫」エキスのほんのりとした自然の薔薇の香りを殺してしまうものがほとんどでした。ですから、薔薇の香りの邪魔をしないもので、自然由来で、低刺激で、作ろうと思っている製品との相性が良いもの、というかなり厳しい条件の中で懸命に探しました。

どこのオーガニック化粧品メーカーも防腐には苦労している事と思いますが、私の場合もやはりかなり試行錯誤を重ね、ようやく製品の防腐力を持たせることに成功しました。

ここに書いたのはほんの一部で、実際にはもっとたくさんの試行錯誤をして企画・開発していました。そして、平成27年6月、ようやく納得のいく最初の製品が完成し発売にこぎつけました。

ブランド名はローズドビオ、商品名はブラッディローズジェリーと名付けました。

実はお勤めしていた時代から、もし自分が独立起業して本当のこだわりのブランドを作れる時が来たら、「ローズドビオ」にしよう!と決めていたので、ブランド名は今から10年以上前に決めていました。ですから、ローズドビオ ブラッディローズジェリーを発売したのは、はたから見ると小さな小さな第1歩に過ぎないと思いますが、私にとっては本当にに感慨深いものがありました。


ローズドビオ
ブラッディローズジェリー

スターアニス
抗菌力があるので抽出エキスを防腐に

-喜んでいただけるオーガニック化粧品を作り続けます-

平成26年10月 株式会社オーガニックビューティーを立ち上げる

平成27年06月 ローズドビオ ブラッディローズジェリーを発売

平成28年10月 ローズドビオ ローズオブローズ(オイル状美容液)発売

平成30年20月 ローズドビオ プレミアムレッドローズオイル(オイル状美容液)発売

平成30年11月 ローズドビオ ホワイトウォッシュパック(ディープ洗顔&パック)発売

平成30年12月 ローズドビオ アクアクレンジングジェリー(メイク落とし&洗顔)発売

平成31年08月 ローズドビオ ジュエルアップミスト(化粧水&美容液)発売

令和01年07月 ローズドビオ ローズオブローズティー(ハーブティータイプのインナービュー)発売
と今ではだいぶラインナップも増えました。
お陰様でご使用いただいたお客様からは、「今まで何も使える化粧品が無かったけれどこれだけは大丈夫!」、「お肌のトラブルで悩んで帽子を目深にかぶらないと外出できなかったけれど、今は堂々とお肌を見せられる」、「オーガニックは高くて効かないものだと思っていたけど、ちゃんと効果があるものもあるのね。百貨店で売ってる有名ブランドより良かったわ」、「主人に初めて肌を褒められたの。大きな目立つシミも変わってきた気がするの!」などなど、とてもありがたいお声をたくさんいただいております。こういったお客様からのお声は、とても励みになりますし私の生きがいです。もともとは自分自身の肌悩みからスタートし、他の女性の肌悩みももっと解決してもらいたいと願って仕事をし続けてたので、自分の事のように嬉しいのです。反対に、かなり重度の肌悩みの方からメールなどでご相談いただくと、まだまだ改善の余地があるなとか、さらに色々なニーズにお応えできるものを作らなければ、などと日々考えています。

2020年になってからは、新型コロナウイルスの感染予防ケアのため、手肌の荒れのご相談をたくさん受け、自分自身も困っていたため、今は植物の力で手肌などを守るような別のオーガニック化粧品ブランドも企画中です。オーガニックの植物はとてもエネルギーがあるため、その本来の力を引き出し活かせれば、皆様のお役に立てる良い化粧品作りができると確信しております。これからも、皆様に喜んで使っていただけるようなオーガニック化粧品を目指して頑張ります。

-私どもの顧問について-

株式会社オーガニックビューティー  顧問 松木康夫

1933年(昭和8年)東京生まれ。慶應義塾大学医学部、同大学院卒業。医学博士、内科認定医。

フルブライト奨学金を得てアメリカ留学、エモリー大学で病理学をタフト大学で血液学を専攻。
帰国後、慶應義塾大学医局勤務中に医学博士号を受け、三四会賞(慶應大学医学部医学賞)を受賞。
1969年(昭和44年)2月、「大学病院並みの設備と開業医の親切さ」を両立した新赤坂クリニックを開設。
以来、800社以上の健康管理を行い、多くのトップの主治医を務めるかたわら、講演、テレビ・ラジオ出演、雑誌への執筆などで、ライフワークの医療革命を進めてきた。日本人間ドック学会名誉会員、日本総合健診医学会、日本内科学会、日本血液学会会員。